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2008年1月10日木曜日

ロブソン・ポンテ (Robson Ponte)

浦和レッズ選手名鑑の第一回目は、2007年JリーグMVPに選ばれたロブソン・ポンテです。

浦和レッズが2006年にJリーグで優勝し、2007年にアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を制する偉業を成し遂げた過程で、常にチームの屋台骨を支えていた男、ロブソン・ポンテ。

さっそく、ポンテという人物を解明していきましょう。


【ロブソン・ポンテ基本情報】

生年月日: 1976年11月6日
国籍: ブラジルとイタリアの二重国籍 (イタリア移民の家系であるため)
出生地: ブラジル・サンパウロ
身長: 174cm
体重: 69kg


【ロブソン・ポンテの経歴】

ブラジル・サンパウロで生を受け、8歳で母親を、18歳で父親を亡くしています。

ポンテは1996年、地元のサッカークラブ・CAジュベントスでプロデビューを飾りました。
たちまちめきめきと頭角を表し、グアラニFCを経てドイツ・ブンデスリーガの強豪レバークーゼンへ移籍します。

しかし、レバークーゼン入団当初はあまり活躍できず、2001年にVfLヴォルフスブルクにレンタル移籍させられました。
才能あふれるロブソン・ポンテでも、やはり欧州スタイルのサッカーになじむには、それなりの時間がかかったのでしょう。

その後、VfLヴォルフスブルクでの活躍が認められ、2003年、ポンテはレバークーゼンへ復帰しました。
ポンテは2004年、レバークーゼンの主力としてUEFAチャンピオンズリーグに出場し、ドイツ代表シュナイダー、ブルガリア代表のベルバトフ、後に柏レイソルへ移籍するフランサらと共に、めざましい活躍を見せました。
レバークーゼンは、グループリーグでレアル・マドリードを3-0で下すなど、この年大旋風を巻き起こました。

そして、ついにロブソンポンテが浦和レッズに招聘されるときがきます。
浦和レッズとポンテの縁結びの神は、ドイツ・ブンデスリーガに太いパイプを持つ、浦和レッズ監督ギド・ブッフバルトでした。

2005年7月、ポンテは浦和レッズに加入します。
このシーズン、山瀬功治が横浜FMへの移籍したことで、中盤の選手が手薄になることに不安を感じた浦和レッズ首脳陣は、ポンテ獲得を切望したわけです。

ポンテの浦和レッズでのデビューは鮮やかでした。
ポンテは、2005年8月20日のFC東京戦でJリーグ公式戦に初出場し、1ゴール1アシストという見事なデビューを飾りました。

ポンテの活躍は、浦和レッズをJリーグ制覇(2006年)に導き、さらにAFCチャンピオンズリーグ(2007年)での浦和レッズの優勝をももたらしました。
アジア・チャンピオンズリーグでは、5得点を挙げて得点王に輝き、その得点感覚の鋭さをまざまざと見せつけたのです。
加えて、Jリーグにおいては7得点12アシストの活躍で、2007年JリーグMVPに選出されたのは記憶に新しいところです。

残念なことに、ポンテは、2007年12月1日の横浜FC戦(Jリーグ最終戦)において、全治6ヶ月の右膝前十字靭帯断裂の重症を負いました。
浦和レッズが優勝を逃したこの試合で、ベンチに下がった後のポンテが、膝をアイシングしながら、悲しげに戦況を見つめている姿が、とても印象的でした。
ポンテの近況ですが、12月14日には膝の手術が無事完了し、順調にリハビリ治療が進んでいるとのことです。

陽気なラテン気質と、ブンデスリーガで培った精神的・肉体的な強さを併せ持ったロブソン・ポンテ。
来るべきシーズン、ポンテは浦和レッズの重鎮として、Jリーグ制覇とアジア・チャンピオンズリーグ連覇のために、獅子奮迅の活躍を見せてくれることでしょう。